日本油脂武豊工場引込線


◆ 簡単スペック

 開通1:1923年11月 区間1:衣浦工場(嶋田)−武豊工場  総延長:3,125m
  (他に側線が1,500m)
 開通2:1924年1月 区間2:衣浦工場(西門)−衣浦工場(嶋田)
 廃止:1986年3月31日
 調査・撮影: 2007年7月−8月


 この日本油脂専用線は、帝国火薬工業時代の1923年6月に国鉄武豊駅へ貨車乗入契約が成立し、同年8月鉄道敷設免許を取得。1924年1月に全線が開通した路線である。1927年には専用線を営業化(旅客・貨物)する計画が出され、武豊内海鉄道(過去に存在したようだ)から鉄道敷設権を譲受したものの1935年に許可が下りず断念したようだ。これができていれば、日本油脂鉄道なる民間鉄道会社があったかもしれない。また1974年〜1980年にかけて全通した名鉄知多新線のルートにも影響を及ぼしたかもしれない。
 
 この専用線は、貨物(1984年に取扱廃止)として主に火薬類の搬出に使われていたようだが、1941年に客車による従業員の輸送を開始し1986年まで貨物6往復、旅客(従業員のみ)2往復(最盛期貨物9往復、旅客5往復)を行っていた。客車は5両ほど、電気機関車2両を保有しており、現在でも交通児童公園などに保存されているらしい。ちなみに、この専用線は電化です。


 参考資料:日本油脂(株)愛知事業所 業務部様、「国土地理院航空写真サービス」ほか



◆ 日本油脂引込線      


更新日:2007年8月17日
同行者:写真家W氏
 
Page 1
@ 今回は終点側から遡って廃線跡をたどっていきます。このページでは武豊工場−衣浦工場(嶋田)間をクローズアップしています。(マウスポインタを写真の上においてください、簡単な説明がでます。)写真提供:「国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省」 A 武豊工場内引込線跡です。カーブ、築堤、コンクリート柵がなんとなく雰囲気を残しています。この先に小松谷停車場があります。そこには電気機関車のデキ1号が保存されているようです。
B 一般道からみた武豊工場引込線跡に設けられている門。現在も使っているのでしょうか? C 敷地境界標が立っていました。
D 航空写真からすると、「日本油脂」の看板からうしろの荒地が廃線部分だったように思います。 E 衣浦工場内敷地は、正門からみたかぎり何もないように見えたので、いきなり工場の反対側へまわると、ありました!いいのが・・・
F 7月に来たとき(データ紛失)は、草が短くレールが見え隠れしていたのですが、今回8月では、こんな感じ・・・ G ところどころレールが見えます!!
H しばらく衣浦工場へ向かった後、振り返ってみると、こんな感じ! I 農道との交差ポイントからみてみました。奥が衣浦工場方向!
Page 1

 ◆ 日本油脂引込線      



▲このページのトップへ戻る

 
 
 
Index / Top
 
Copy right 2007 Studio Nikudango. All rights reserved.