■ 岩村電車 (岩村電気軌道/矢作水力電気軌道)
 
■簡単スペック
総延長   12.3km
全線開通 1906年12月5日(明治39年)
廃止    1935年1月19日(昭和10年)
撮影    2003年4月、2005年2月

 
 
◆岩村電車   
 

岐阜県恵那郡の著名人のひとりである淺見與一右衛門翁が岩村町の活性化を図る為、家財を投入し完成させたのがこの「岩村電車」(廃線跡)である。岩村町−大井町(現恵那市)を全線電化単線でつなぎ旅客業務、貨物輸送、発電業務を行っていた。運行は最大8往復/日だったそうだが、廃線前は6往復/日であり、旅客車両(1両)と貨物車両(一両)が連結されて運転しておらず、森林鉄道でよくある続行運転を行っていたそうだ。電車がくると家の電気が暗くなるというエピソードもあった。1920年(大正9年)に電力王福沢桃介が矢作川水系に発電所建設を計画、その建設資材輸送にかかるコスト等の理由から矢作水力(株)に合併した。とは言うものの合併前の岩村電気軌道時代も経営状況は優良であったそうだ。また合併後も廃止に至るまで好調を維持していたが国鉄明智線(現明智鉄道)の営業開始により旅客貨物共に需要が減り営業を休止、その後廃止となった。
停車場は、大井・東野口・小澤・山王下・岩村以外にもあったようだ。時代によって停車場が変化していたのかもしれない。今回は岩村町史の記載に従った。ちなみに、停車場でホームがあったのは岩村のみであとは路面から直接乗り込みだったようです。 JR恵那駅から岩村方向を見た写真です。面影などさっぱりありません。
R19号線と阿木川ダム間の路線跡。完全な車道です。 向島(旧東野口)の交差点です。この近辺に停車場があったとされています。
向島交差点からダム(下流)へ向かう路線跡。なんの痕跡もありません。 さらにダムに向かう路線跡
小澤停車場付近。左から中央、右へと路線跡がつづき水没しています。この右側が小澤。なんでも渇水期に小澤発電所(岩村電車用)が見えるそうです。 暗くてわかりにくいが、中央に橋台跡があります。
これ ガードレールのところが路線跡。併用軌道の方式をとっていたようです。

◆岩村電車   

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